第2話「知られたくない事」 中編

こうして安治達に救護室へと無事に運ばれた圭は、適切な治療を施され、清潔なベッドに寝かされた。
しかし治療後も意識は戻らず、眠ったままである。
そして圭は、自分が夢の中にいる事を何故か認識していた。
やけに臨場感があり、通常ならば覚醒しているであろうレベルで細部を感じる事が出来るのである。
夢の中でも、圭は同じ制服と同じパーカーに身を包み、
大勢の黒い制服の者達を相手に孤軍奮闘しているのが神の視点から見えた。
一人、二人と倒した人数を数えながら、素早く確実に仕留めていく。
自分でも酔いしれてしまいそうな銃さばきに、成長すれば現実になるかもしれないと考える事すら出来た。
夢の中の圭は、その区域の敵を一掃し一段落したところで、安堵の息をついて汗を拭う。
今にも雨が降り出しそうな曇り空の、じっとりとした湿度が伝わってくるようである。

「……268人、此処はこんなものか……ふう、キツいな……。これで、少しは状況が良くなるといいんだが」

夢の中の自分の発言から、軍全体の戦況が芳しくない事を圭は瞬時に理解した。
そして酷く不安に陥った。
こんなにも現実味があり、鮮明に知覚出来る夢など圭は初めて見たのである。
ぬるりとした不安の塊が現実に、夢が不吉な正夢になってしまうのではないかと感じてしまう。
そして夢は、更に芳しくない方向へと展開していく。
激戦からの束の間の安堵に、夢の中の圭は浸り過ぎていた。
敵である黒軍の、槍を持った瀕死の残党が、ゆっくりとその背後に気配を殺しながら近づいて行く。
それを見ていた圭が警告の声を上げども、勿論その声は夢の中の圭には届かない。
断末魔に近い叫び声を上げながら、敵は圭の背後からその心臓を確実に狙い、槍で一突きにしてしまった。
見開かれる目。
貫かれた後、槍は抜き取られ、痛みに圭の顔は歪む。
それでも咄嗟に銃を後ろに構え、敵の息の根を止める。
その背からは噴き出すように血が流れ、自分はもう助からないだろうと、夢を見ている方の圭は悟った。

「っぁ…お、俺は……あと…すこし、だった、の、に……」

膝から崩れ落ち、後悔の念を呟きながら事切れる自分を目の当たりにして、圭はゾッとなる。
それでも覚醒しない自分に苛立ちを感じているうちに、夢の中の戦地に雨が降り始めた。
数多の敵の死体や圭の死体の上に降り注ぎ、血を洗い流していく。
夢の中の時間軸は曖昧なもので、
恐らく長い時間を経て雨が上がった後、圭の死体に近付いてくる複数の人影が見えた。

「……そんな」

まず最初に、切り揃えられた白に近い銀髪に碧眼の、暗殺部特有の黒いシャツに身を包んだ少年が、
圭の死体を見て驚愕し、震える声で一緒に来た仲間を呼ぶ。
すると、非戦闘部のブレザーを着た、艶やかな黒髪に酷いクマのある赤眼の少年がやって来て、
圭の死体を前に思わず立ち尽くした。

「圭、ちゃん……!?」

激しく衝撃を受けたらしい黒髪の少年は、ふらりと軽くよろけて白銀髪の少年に支えられる。
片手で顔を覆いながら、支えられた少年は俯いて何度も首を横に振った。
そして、女子の非戦闘部の証であるネクタイを締めた、
栗色のウェーブした髪を二つ結びにした紅色の瞳の、小柄な少女が咄嗟に駆け寄ってくる。
少年達の反応から、すでに結果は予測出来ていた様だ。
大きくつぶらな瞳に涙をいっぱい溜め、圭の前で言葉にならない叫び声と共に崩れ落ちた。

「あ、あああ……!」

入学式の日に少し助けたのもあって、圭は少女の事だけはそれなりによく知っている。
しかし、二人の少年の事は殆ど知らなかった。
そういえば教室に居たような、つまり同隊なのだろう、程度である。
そんな彼らが……少女を含めて自分の名前を親しげに呼ぶのは、こそばゆい感覚がした。
しかし奇妙な事に、まるで旧友に再会したかのような、懐かしい感覚も同時に抱いたのである。
圭の知る限りでは、二人の少年とは入学前に接触した覚えがなかった。
そもそも圭は、兄が入学・入隊するまで此処からとても遠い町に住んでいた為、
同じ地域に住んでいた友人など誰一人として居ないのである。
それなのに、何故。

そんな事を考えていたら、いつの間にか死体の処理が始まっていた。
すぐにその場で火葬される為、まず衣服などの遺留品が回収される。
圭の死体も例に漏れず、ブレザー、派手なパーカーとスニーカー、ベスト、シャツ、そしてズボン……
と脱衣させられていった。
そして不意に、てきぱきと動いていた三人の手が止まる。
圭は嫌な予感がした。

「圭……もしかして、女、だったのか……!?」

絶句している黒髪の少年と少女の代わりに、白銀髪の少年が恐る恐る驚きの言葉を口にする。
圭は男装し、幼い頃から男として生きてきた少女だったのである。
元来兄の影響で男勝りだったというのも一つの要因と言えよう。
また、彼女は白軍の要人であった両親たちが黒軍に殺害され、
兄と二人で生きていかねばならなかった際、女性だといらぬ危険がつきまとう場所に住んでいた。
そして今は……

『待て』

圭はその時間、空間そのものを否定するように制止の声を上げた。
しかし案の定、少年達にその声は届かない。
こんなにはっきりと嫌悪感を抱いているのにも関わらず、覚醒すらしない。
夢であると分かっていても、隠し通したい事実が暴かれる瞬間に立ち会っているのは居心地が悪かった。
圭は彼らに聞こえないのをいい事に、大きく舌打ちをする。

「僕たちに隠していたんだ……でも、どうして……」

黒髪の少年が未だ困惑した様子で目を泳がせている。
少女は時折嗚咽を漏らしながらも、少年の問いには応じず、
もう一人の少年は気まずそうに圭の死体から目を逸らした。
圭はそれらを眺めながら、これが正夢ならば、近しかったのであろう同級生達にも、
死ぬまでは男装を見破られる事がないのではないか、と妙に冷静に喜ぶ。
それがこの場では不謹慎な思考だと分かっていたが、それ程までに隠したい事なのであった。
必要以上に多くの人間には知られてはならない……兄達が卒業するまでは。
ぐっと唇を噛み締めていると、一先ず処理の第一段階を終えた少年達は立ち上がった。
この後、死体をソービのレーザーシールドで囲み、この場で火葬するのだ。
主に庶務部がインストールしている、
ソービ専用シールド火葬ソフトウェアによって、火葬に必要な温度で焼く事が出来る。
どうやら黒髪の少年が庶務部らしく、プログラムを慣れた手つきで作動させていた。
シールドで圭の死体が囲まれる直前、黒髪の少年はソービの画面から目を外し、圭の死体を見つめる。

「……僕とは違って、君は嘘をつくのが上手過ぎたよ、圭ちゃん」

少年はぎこちなく口角を上げ、死体に向かって悲しそうに笑いかけた。
軽く伏せられた目の影は想像以上に深く、圭は自分まで悲しい気分になる。
少年の言葉の意味は、恐らく死体になった圭だけが知っているのだ。
物を言わず、思考の止まった彼女に語りかけても、霊がいるわけじゃなし聞こえてなどいない。
それなのに、夢を見た圭本人が、少年の呟きを聞いてしまった。
本当は、聞いてはいけなかったのだ。
時既に遅しであるが、夢の中の圭が生きて、生き抜いて、
然るべき時、事実を彼らに告げた後に聞くべき言葉だった。

『何だよそれ! 何故そんな顔でそんな事を言う!? ……こんな形で、聞きたくない……』

圭はやるせなさに思わず憤慨し、やはり聞こえないのをいい事に、少年に向かって怒号を浴びせる。
そしてその場に膝を付き、蹲って目を瞑って耳を塞いだ。
しかし、少年達の悲しげな表情はどんなに強く目を瞑っても見えてくる。
少年達の呼び声はどんなに強く耳を塞いでも聞こえてくる。
脳内に焼きつき、語りかけられるようで、圭は気が狂いそうだった。

「圭くん……」

『うるさい……』

「……圭」

『うるさい……』

「圭ちゃん、」

『うるさい……!』


三度目に語気を荒げた時、漸く彼女は夢から解放される。
うめき声を上げながら、目を開けると、見慣れない天井のようなものが見えて、ぱっと飛び起きた。
眼鏡は外されており、圭は目がとても悪いのでぼんやりとした世界が広がる。
とはいえ、この部屋がベッド一つで埋まってしまう程の狭い個室であること位は彼女にも理解できた。

「あ、起きた」

そしてどうも、茶髪に白衣の少年がそばに居るという事も。
彼は何とか目を細めてこちらを見ようとする圭に眼鏡を手渡すと、手元のバインダーに何かを書き込んだ。
眼鏡をかけると、目の前の少年にはどこか見覚えがあることが分かった。
少年の右目が金色、左目が青のオッドアイ、髪の分け目は右寄りである。
目の色の左右が逆で、髪も黒髪の左寄りの分け目、かつより背の高いだけの、
目の前の少年にとてもよく似た少年と、兄が一緒にいる場面に圭はよく出くわしていた。
よもや他人の空似ではあるまい、彼女の知る少年と目の前の少年は兄弟だろうと瞬時に判断する。

「そんな怪我をしたのなら木の下で寝てないで、さっさと来てくれないと困るよ」

別段困った様子でもなく、顔色ひとつ変えずに少年は圭に向かって言う。
圭が優しげに微笑む兄の友人の事を思い出し、弟であろう彼も……と思ったのが大きな誤りであった。
少年は圭の事を兄から聞いたことのある口ぶりで、圭の性格を分析して注意点を述べ始める。
九十九白と名乗った少年は、散々言い尽くした後で圭が圭であることを確認してきた。

「今更聞くまでも無いと思うけど、君は一般戦闘部の鈴虫圭君、だよな?」

圭が頷きかけた時、白は少しだけ口角を上げる。
にやりとした微笑は、何か悪戯を思いついた幼い子供を彷彿とさせた。
しかし、腕を組み興味深げに圭を見つめる目は、獲物を見つけた動物のようで、自ずと恐怖心を与える。
そして白はそのままの状態で、さらりと言い放った。

「……いや、鈴虫圭『さん』かな」

ビクッと圭の体が反応する。
目が大きく見開かれる。
怯えた様子で、顔を引きつらせる。
白はその様子を暫く観察するように眺めていた。
圭が何も言い返さなかったのを肯定と取り、白は口外はしないと約束の言葉を述べる。
先輩とはいえ口約束で大丈夫かと警戒心を解かない圭に対して、約束を破るメリットが無いとまで白は断言してみせた。
確かに、圭の秘密を白が誰かに漏らした所で、白が得をするという事は決してない。
その秘密を知って損をしたり得をしたりするという人物は他にいるかもしれないが、
白自身そもそもそのどちらにも当てはまっていないのである。
寧ろ、白に秘密を知られた事によって、得をするかもしれないと圭は考えた。
そして、思い切って夢の話をしてみようとした。

「先輩、俺、先程おかしな夢を見たんですが……」

「俺は君の見た夢には興味無い」

冷たく言い放たれ、圭は黙り込んで肩を竦める事しか出来ない。
二人の間に気まずい空気が流れ始めたと、少なくとも圭は感じた。
俯いたまま押し黙っていると、白は部屋の扉を開き、かえでと魁、そして圭を運んできた一年生たちを呼ぶ。
二年生はかえで、魁、と順番に部屋に入ってきて、圭はベッドから起き上がったままの体勢で軽く頭を下げた。
二度目に頭を下げ、再び頭を上げる時に一年生たちが入ってきて、圭の動作は不自然に止まる。

切り揃えられた白銀髪に碧眼の、少し眠そうな暗殺部の少年。
ふわふわした栗色の髪の二つ結びに赤眼の、非戦闘部の少女。
癖の強い艶やかな黒髪に赤眼の、クマが酷い非戦闘部の少年。
圭の見た夢に出てきた三人である。
そんな平承、みかる、安治の三人は、それぞれ圭の具合を窺った。

「良かった……顔色、良さそう」

「そうですね! さっきは血の気を失ってたので心配しましたよ」

「おはよー。具合はどう? 大丈夫?」

圭は周囲に動揺を悟られない様に努める。
あのような夢を見た後である、彼ら三人が自分を助けたのは偶然ではないような気がしてならなかった。
平承の驚いた顔、みかるの悲しむ顔、そして安治のぎこちない笑顔を思い起こして、心臓を掴まれた様な心地になる。
気まずそうに彼らから目を逸らすと、圭はボソボソと彼らに礼を言った。
やっと言葉を発した彼女に一年生の三人が各々の性格に応じた方法で喜びの色を見せるのを横目に、
白は呆れた様子で息を吐く。

「そんなに寄って集って心配しなくても……これくらい適切な処置を施せばすぐに治る、よくある負傷だよ」

「まーまーシロちゃん、可愛い後輩たちの熱い友情じゃーん!」

なだめるというよりは白をからかう様な口調で、かえでは半ば強引に彼と肩を組んだ。
少し怪訝な顔つきになるも抵抗しないところを見ると、彼らは相当仲が良い事が分かる。
安治はこの三人の先輩と同じ中学校で、それなりに交遊もあった為その事をよく知っていた。
安治が入学するまでの一年間にも問題無く彼らが今も仲良くしているのを眺めて、どこか安堵した気持ちになる。
ただ、彼らにはもう一人仲のいい友人が居たという記憶が、安治の胸を少しだけざわつかせた。
魁が非常に申し訳なさそうに項垂れているのを見ても、その事と何か関係があるのではないかと推測せずにはいられない。
少々目つきの悪い切れ長の赤い目を伏せ、色素の薄い桃色の短髪を右手で軽く握り込んでいる魁は、非常に悔しそうである。

「オレが策を練ったんだが……こんな怪我を負わせてしまって悪かった……」

そう呟くように謝罪する魁は、
たかが一人の見知らぬ後輩の負傷のためにあまりにも罪の意識を抱き過ぎではないかと安治は思った。
少なくとも中学時代の魁は、このような事で一々気に病むような人物ではなかったと。
安治が内心疑問を感じていると、かえでが白と肩を組んだままでもう片方で魁と肩を組み、
八重歯を覗かせながら笑みを浮かべる。

「かっしーはかっしーで気負いすぎー。シロちゃんも言ってたけど、こんな怪我なんてよくある事じゃーん!」

「「かえではよくありすぎ」」


「……にゃはは」

両脇に居る白と魁に同時に指摘され、かえでは苦々しげに独特の笑い声を上げる事しか出来なかった。