第1話「一方的認識」 前編

桜の花弁が風に乱舞する。
神原安治(かんばらあんじ)の艶やかでふわりとした黒髪を、桃色の風が勢いよく撫でて行く。 
時折それに気を取られつつも、彼は校舎達を一人ぼんやりと見渡していた。
目の下の酷いクマのせいで、周りから見れば緊張して眠れなかった新入生が、眠そうに突っ立っているかのようである。
しかし、彼のクマは慢性的な寝不足によるもので、最早彼自身は眠気を感じていないのであった。


安治が入学する、白軍のとある学校は、他校の中でもそれなりの規模を誇っている。
勉学に励むための本館があり、広いグラウンドを囲む様に、屋内訓練所、食堂、そして男女別の寮が存在している。
従軍を回避し難い現代。 
安治は、どうせ入隊するのであればと地元に一番近い学校を偶々選んだに過ぎなかった。
しかし、この学校の質の良さを求めて、わざわざ遠方からやってくる者も少なくないらしい。
基本的にどの学校も越境入学者の為の寮が存在している。
しかし、特にこの学校は越境入学者が多い為全寮制なのである。
地元とはいえこの学校は安治でも少々遠いと感じた為、寮で良かったと内心喜んでいた。
森に隠されるようにして存在しているからだ。 
安治も写真でしか見た事がなかったのである。

新入生たちは、入学式の前にどの隊に入隊し、その中でもどの部に所属するかをまず決定する事になっている。
それはこの学校に限ったことではない。
部隊がそのまま、学校でのクラスになるからだ。
新入生が私服でやってくるのは、戦闘部か非戦闘部かによって少し制服が異なるためらしい。
事前に行われた適性検査の全員の結果から、まず今年度の入学者が大体どの部に入るか・入れるかが予測される。
そして、それぞれの隊はその人数比に沿った部の募集人数を定める。
新入生は早い者勝ちで希望していき、
適性検査の結果のある程度の水準を満たしていれば、希望通りの部に所属する事が出来るのである。
安治は、地元だからと高を括って出発したせいか比較的遅くに到着してしまい、
希望出来る隊も部も少なくなっていた。
適性検査の結果では、安治は戦闘においては奇襲が得意でバランスの取れた数値を誇っており、
救護班、司令部、諜報部以外であれば選り取り見取りであるそうだ。
しかし、その結果を見ても彼の希望が揺らぐ事はなかった。


本館に入ってすぐの掲示板に貼り出された、それぞれの隊ごとの枠の紙を見て、
赤いペンでチェックされていない枠の部に入る事が出来る。
安治は自分の希望する部の枠をそれぞれ見て、愕然とした。
それなりに厳しい部だと彼は予測していた為、枠にも余裕があるだろうと構えていたが、
それが大きな誤算であったようだ。
見事なまでに赤いチェックだらけなのである。

「どうしよう……」

思わず呟いてしまう程には、彼は狼狽していた。
適性はあっても、他の部に所属する事など全く考えていなかったのである。
部さえ所属できれば、隊はどこでも良かった。
慌てて近くの受付を任されていた教諭に助けを求めようと方向を変えた所で、廊下の手前、この部屋の端に人影が見えた。
他の新入生たちもまだちらほらと居る中でも、彼らの存在は何処か目立っている。

白いマントを身につけ、薄い金色をした短髪に碧眼の背の高い女子生徒が、二人の男子生徒に気さくに話しかけている。
一人は明るい茶髪に紫の瞳で、両耳に赤と青のピアスを付けており、見るからに軟派そうな風貌をしている。
少々垂れ気味の優しい目が、女子生徒ともう一人の男子生徒とを交互に行き交っていた。
もう一人は女子生徒よりも背がだいぶ低く、少し長い青がかった黒髪を後ろで一つに纏め、
赤いヘアピンをクロスさせて左のこめかみの辺りに付けている。
黒い眼鏡をかけており、その奥の緑色の瞳は微かに鋭い光を放っているのが遠くに居る安治にも分かった。
パーカーにズボンという私服姿である為、安治と同じく新入生である。

「改めて、ようこそ朽縄部隊へ。アナタならきっと入隊してくれると思っていたわ」

女子生徒は演技でもするような抑揚を付けながら、背の低い方の男子生徒に微笑みかける。
どうやら彼女は、安治たちの先輩のようだ。
彼女の微笑は、何処か含みがあって、その男子生徒をただ純粋に歓迎している風には見えなかった。
自分に向けられた微笑ではないのに、安治はぞくりと寒気を感じる。

「おーお、朽縄ぶたいちょーのお眼鏡に適うとはな!  改めてよろしく頼むぜぇ圭?」

茶髪の男子生徒が、背の低い男子生徒の頭にぽんと手を置く。
どうもマントの女子生徒は部隊長らしい。
つまり必然的に新三年生であると分かる。
部隊長は選ばれた三年生だけが一年間務める事の出来る役職だからである。
部隊長の苗字がその部隊の名前となる為、女子生徒は「朽縄部隊」と言ったのであろう。
そして、砕けた口調から、恐らく茶髪の男子生徒もまた安治たちの先輩であると推測される。
しかし、彼に「圭」と呼ばれた新入生は、鋭い目を更に鋭く光らせて、先輩であろう男子生徒をじとっと上目で睨め付けた。

「兄貴が同じ部隊ってのは不服だが……」

不満気に「圭」はくぐもった低い声を出す。
相変わらず睨まれている男子生徒は、「圭」の兄らしい。
見た目も、恐らく性格も、殆ど似ていないと安治は感じた。
それなりに整った顔立ちをしている兄弟ではあるが、その方向性すら異なっている。

「ひっでぇ!  オレに一体、何の不満があると言うんだマイブラザー!?」

態とらしく悲痛そうに叫びながら、圭の兄は強引に肩を組む。
圭は兄の腕の中で居心地悪そうに肩を竦め、兄から目を逸らして視線を移した。
安治の場所からは何を言っているかは分からなかったが、圭の口の動きは明らかな悪態を紡ぐ。
圭の泳ぐ視線はあちこちを漂い……
やがて、自分達の方を見ていると気付いた安治を見定めて停止する。
翡翠色の鋭い光に、射抜かれたようであった。
安治は飛び上がり、慌てて先程まで見ていた掲示板の方に向きを変える。
ただ、羅列する枠と文字には集中せず、耳で彼らの会話に意識を向けていた。

「貴方のお気に召したのならば、何なりと俺を使ってください。この命の続く限り……」

安治は圭の弱々しい声音に驚いて、横目でちらりとその表情を窺おうとする。
部隊長を見つめる圭の瞳は不安と羨望、そして何故だか恐怖すら入り混じった感情を映して揺れ、
そんな自分に焦っているようだ。
あんな風に、誰かの為の従軍なんて出来ない、と安治は内心考える。
誰かの為に生きた事などなく、それを自覚していても尚、誰かの為に生きようとは思っていないからである。
そんな自分は役立たずで利己主義だと自分でも痛感しており、なるべくならば直視したくない。
しかしそうなってしまった原因は自分の周囲が、延いては現在の社会が悪いからだと思っていた。
社会が変われば、周囲が変われば、自分だって。
従軍ほぼ不可避の状況に自ら立ち向かったのは、安治にとっては大きな第一歩であった。
その為にも、せめて希望する部には入らねばなるまい。
安治は先程のやり取りを見聞きして、何を思ったのか「朽縄部隊」の紙を探していた。
「くちなわ」から彼が想像していた漢字とは異なっていた為若干驚いたものの、漢字自体が珍しいのですぐに見つかる。
安治の希望する部が記載されているであろう辺りで視線を動かして、
既に殆どが赤いチェックで埋まった枠の、白を探した。

「……無い」

安治は酷く落胆した気持ちに襲われた。
それが何故なのかは彼には分からなかった。
先程のやり取りを見聞きしても尚、朽縄部隊に入りたかったのかすら。
紙から視線を外し、諦めて今度こそ教諭に相談しようと、重々しく体の向きを変えた時だった。
受付の前に、私服を着た新入生と思しき一人の少年が立っている。

「あの、おれ、朽縄部隊の庶務部で希望、していた者、です。申し訳ない、のですが……
その、やっぱり同隊の暗殺部に変更、とかって、出来ますか」

いかにも自信が無さそうで、眠そうにも聞こえる歯切れの悪い調子で、その少年は教諭に問いかけている。
横だけが少し長い、限りなく白に近い銀髪のおかっぱ頭。
三白眼気味の垂れた碧眼は、日に焼けた肌の上で砂漠の青い空のような鮮やかな色を見せていた。
しかし、その顔は焦燥感に引きつっている。
女性教諭は手元のリストをさっと確認した後、緊張していると思ったのか少年に向かって暖かく微笑みかけた。
適性さえあれば変更可能である旨を教諭が伝えると、少年は漸く安堵した表情を見せる。

「本城平承(ほんじょうへいすけ)……そう、『平たく承る』の、へいすけ、です。
適性は、庶務部より暗殺部のが高い、筈です」

本城平承と名乗った少年は、相変わらず歯切れの悪い調子でそう言った。
何処か眠たそうにも聞こえる喋り方である。
暗殺部の方が適性が高いのなら、どうして最初からそちらにしなかったのだろうかと安治は考えつつ、
体は受付に向かって真っしぐらに動いている。
一刻も早くという思いが、彼の体を動かしていた。

「新入生の神原安治、朽縄部隊の庶務部希望です!」

安治の声は思った以上に響き、待機していた生徒たちの視線を集める。
隣で書類に訂正を加えていた平承も、手を止めてぎょっとした顔で安治を見た。
安治がずっと希望しようと思っていたのは、たった今平承が変更した庶務部だったのである。
庶務部は事務作業から死体処理まで、他の部の仕事以外なら何でも引き受ける大変仕事量の多い部だ。
ただし、所属者の生存率は司令部の次に高いのである。
安治は生き残る為に庶務部を選んだ。
生き残り、自分が変われるかもしれない新しい世界で生きる為に。
どんなに適性があると認められても、みすみす死亡率の高い戦闘部に身を捧げる気は毛頭なかった。
また、他の非戦闘部の適性が軒並み低いのに対して、
庶務部だけは全体でも一番適性が高かった為、学校側としても文句は無い筈である。
受付の女性教諭は、安治の幸運を自分の事の様に喜んで、枠だけ書かれた白紙の書類を手渡した。
教諭に言われた通り、書類を書く為の教室へ向かう。

「あんたは……」

去り際、平承が不思議そうに安治を眺めていた事に、安治本人は気付かなかった。